——多幾宏平[マーケティングリアルティ]
【第11回】マーケティング視点の不動産投資講座
「築年数が古すぎる」「駅から徒歩15分もかかる」「周囲の建物に遮られて日当たりが悪い」——。所有あるいは管理を任されている物件の「弱点」を並べ立てて、ため息をついているオーナーやPM担当者は少なくありません。こうした物理的なスペックの劣後は、不動産業界において非常にマイナス要因となっているのが実態だと思います。
なぜなら、現在の不動産リーシングの入り口であるポータルサイトや検索システムが、完全なる「スペックによる絞り込み(スクリーニング)」で成り立っているからです。ユーザーはまず「築10年以内」「駅徒歩10分以内」「南向き」といった条件にチェックを入れます。このデジタルな足切りが行われた瞬間、前述のような弱点を持つ物件は、ユーザーの画面に表示されることすらなく市場から排除されてしまいます。
運良く検索に引っかかったとしても、そこから始まるのは「減点方式」の消耗戦です。他社の築浅物件、駅近物件と比較され、「古いから」「遠いから」、相場よりもさらに安い賃料を提示しなければ選んでもらえない。「実態(物理的)価値」のみに依存したビジネスモデルである限り、弱点を持つ物件の未来は、相場よりも安く貸し出すか、値引きによる収益性の低下前提で貸し出すか等により、空室を埋めているのが現実です。
しかし、マーケティング視点から眺め直すと、全く異なる景色が見えてきます。私たちの脳は、物理的な事実をそのまま受け止めているわけではありません。その事実が「どのような文脈、解釈で提示されるか」によって、物理的な事実の受け止め方を大きく変える、極めて感情的な性質を持ってます。
これを行動経済学では「フレーミング効果(Framing Effect )」と呼びます。 提示される情報の客観的な事実は同じでも、その表現方法や焦点を当てる枠組みを変えるだけで、人間の意思決定や印象が大きく変化する心理現象です。代表的な事例を[図表]に示しました。

いずれの事例も共通するのは、「事実」は変わらずとも、「損失」と「獲得」のどちらを強調するかで、人間の判断や行動が変化する点です。
これは、人間の脳に深く刻まれた「損失回避バイアス(プロスペクト理論)」が働くためです。人は何かを「得る」喜びよりも、「失う」恐怖に約2~2.5倍強く反応するとされています。そのため、「成功率90%」という獲得フレームは安心感を与える一方、「失敗率10%」という損失フレームは、客観的な確率が同じでも、防衛本能を刺激してしまいます。
このような事例が示すのは、人間は数字やスペックを論理的に評価する前に、「どんな枠組みで提示されたか」という情動的な情報で、瞬時に意思決定の方向性が決まるということです。だからこそ、顧客が前向きに受け止められるフレームを設計できれば、同じ商品やサービスでも、まったく異なる価値として認識させることが可能になります。
では、このフレーミング効果を不動産の企画開発やアセットマネジメントの実務にどのように移植し、ポジショニングを変更していくべきか。具体的な「弱点」の書き換え事例を通じて考えてみましょう。
①築古の場合
まず、多くのオーナーを悩ませる「築古(築30年以上)」という弱点です。これをそのまま「古い物件」という損失フレームで募集すれば、単なる減点対象です。しかし、これを「時の経過によってしか生み出せない、重厚なヴィンテージ」という獲得フレームに書き換えたらどうでしょうか。経年によって味わいの出た無垢の床材や、現行の画一的な新築ビルには出せないコンクリートの質感、レトロなパーツ。これらを「ビンテージものとして専門家の手によって再構築」、募集文脈を「新しさ」から「固有のストーリーと味わい」へと転換させ、本来の築古の相場賃料から、築浅同様の賃料設定に上昇させることが十分に可能です。
②駅遠の場合
次に「駅徒歩15分(駅遠)」という弱点です。利便性を求めるビジネスパーソンにとってはマイナスでしかありません。しかし、これを「駅前の喧騒から完全に隔離された、究極の静寂とクリエイティブな環境」というフレームに変えたらどうでしょうか。さらに、自宅で集中して創作活動を行いたい職種、WEBデザイナーや、リモートワーク中心の知的労働者をターゲットに設定し、エントランスエリアに植栽を増やし、リゾート感を演出することで、「駅前の喧騒から完全に隔離された、究極の静寂とクリエイティブな環境」というポジショニングに再定義することができます。それは、駅距離15分の周辺相場から、数十%の賃料アップも可能だと考えます。
フレーミング効果によるポジショニングの変更の際、極めて重要な注意点が、ターゲットをしっかり絞り込む「セグメンテーション(市場細分化)」とセットでなければ機能しないという点です。
単純なスペックで比較されたら選ばれない物件、もしくは安くしか貸せない物件が「全員に好かれよう」とする差別化なき戦略で勝つのは難しく、特定のターゲットを絞り込んで、そこに向けて作る必要があります。私たちがアプローチすべきは、書き換えたフレームに対して、心地よさや共感を覚える「少数の熱狂的ユーザー」です。
「駅から遠い静寂な空間で、誰にも邪魔されずに創造的な仕事に没頭したい」「築年数は古くても、ビンテージ感があり、新築にはない味があり、自分の価値観に合っている」
こうした特定の価値観を持つユーザーに対して、彼らのペインを解消する文脈(フレーム)でプロダクトを作りきり、ダイレクトにメッセージを届ける。これができたとき、物件の「弱点」は比較対象から完全に消え去り、他社との家賃競争を無効化する「この物件でなければならない」というプレミアム賃料が発生します。
現在の不動産開発やアセットマネジメントの現場では、土地値や建築費の高騰という物理的な制約により、ハードウェアに資本を投下して差別化を図ることが極めて難しくなっています。
そのような時代だからこそ、人間の知覚を戦略的に設計する「認識価値への投資」であり、その具体的な手段が「フレーミングによるポジショニングの変更」なのです。この手法の最大のメリットは、莫大な建築費を追加することなく、既存のストックの魅力を何倍にも増幅させられるという「投資効率の圧倒的な高さ」にあります。変えるべきは建物の構造ではなく、我々の「視点」であり、ユーザーに届ける「言葉」のフレームなのです。
設計図に最初の線を引く前に、あるいはリーシングの条件を諦めて下げる前に、目の前のアセットが持つ事実を別の角度から見つめ直す。どのターゲットの、どんな未充足ニーズに対してフレームを合わせれば、この弱点が唯一無二のプレミアムに化けるのか。
相場という単一的な数字の呪縛から脱却し、不動産投資の収益性を劇的に向上させる鍵は、同じものが枠組み一つで「別物」に変わるという事実です。市場の誰もが「リスク」や「欠陥」だと見過ごしているその場所に、大きなリターンが眠っています。
本連載「マーケティング視点の不動産投資講座」
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