――多幾宏平[マーケティングリアルティ]
【第6回】マーケティング視点の不動産投資講座
不動産の内見で、わずか数十分のうちに施設の全てを内見者に理解させることはまず不可能でしょう。私が以前企画開発を手がけたシェアオフィスでは、「ハロー効果(halo effect)」という心理現象を戦略的に組み込んで施設の魅力を伝えていました。
ハロー効果とは、ある対象を評価する際、良いものであれ悪いものであれ目立ちやすい顕著な特徴に引きずられ、他の項目に対する見方までも歪めてしまう現象を指します。人間の脳が膨大な情報を処理するための「認知の節約法」のひとつです。これを内見者の脳内でうまく作用させることにより、提供する価値と価格設定に対する納得感を高められると考えました。
具体的に着目したのは、仕事や生活における「コーヒー」の役割です。多くのワーカーにとって、リラックスや集中を司る一杯のコーヒーは欠かせない存在でしょう。しかし、多くのコワーキングスペースやシェアオフィスにおいて、コーヒーは付帯機能の域を出ず、こだわりを打ち出している施設は稀です。美味しいコーヒーが飲めることは顧客満足度を高めますが、高い賃料を納得させられるほどの影響力を持っていません。
そこで、コーヒーブランドが長年築き上げてきた「尊厳」や「プロから選ばれる高い専門性」を前面に打ち出し、施設の品質に対するポジティブな評価として脳内で結びつけることを思い付きました。
コラボレーション相手の選定には、極めて慎重な判断が求められます。誰でも知っている有名なコーヒーチェーンを選んでしまうと、ハロー効果は限定的なものになります。なぜなら、そのブランドの価値が「どこにでもあること」である場合、施設側の評価も「ありきたりなもの」という風に収まってしまうからです。
私がパートナーとして選んだのは、スペシャルティコーヒーの先駆者である「堀口珈琲」でした。一般の人にはさほど知られていないかもしれませんが、著名なソムリエやパティシエ、星付きレストランから絶大な支持を受ける、いわば「プロが選ぶプロのブランド」です。
内見予約のためのウェブサイトは堀口珈琲のウェブサイトにアクセスできるようにし、同ブランドによる豆の産地への執着、独自の焙煎技術、そして業界に一石を投じてきた哲学を瞬時に知ることができるようにしました。そうすることで、「ここまで品質にこだわったコーヒーブランドと協業しているのだから、この施設は様々な箇所でこだわりが強いに違いない」というハロー効果が生まれます。
さらに施設のラウンジには堀口珈琲が設定を手がけた高性能マシンを設置し、その傍らに彼らのブランドストーリーを伝えるディスプレイを配置しました(写真)。内見の冒頭、コーヒー1杯を内見者に差し上げ、その背景にある物語を話しながら施設を案内する。このプロセスを経ることで、施設全体が「プロフェッショナリズムの塊」として色付き始めるのです。
ブランドのアイデンティティが本来の製品領域を超えて価値を転写させる事例は、他の業界でも顕著に見られます。その代表格が、イギリスの音響メーカー「マーシャル(Marshall)」です。音楽に詳しくない人でも、ギターアンプの前面に躍るあの特徴的なロゴを見たことがあるはずです。
半世紀以上にわたり「ロックの象徴」として君臨してきたマーシャルですが、驚くべきことに、現在のグループ売上でギターアンプが占める割合はわずか数%程度に過ぎません。売上の9割以上を占めるのは、ヘッドホンやポータブルスピーカーといったライフスタイル製品です。「マーシャルが持つロックな世界観、歴史、尊厳」をライフスタイルにうまく転化していると言えます。
これこそが「ブランドの波及」です。アンプという特定のプロフェッショナル領域で築いた絶対的な信頼が、ロゴ一つを通じて「プロから選ばれるブランド」という直感的な価値へと変換され、ジャンルの異なる製品であっても作用しているのです。不動産においても、特定のパーツ(コーヒー、家具、音響など)にこうした「尊厳あるブランド」を配備することは、空間全体を同じレベルだと認識させる効果を期待できます。
歴史あるブランドという明確な資産によって、ユーザーの「なんとなく良さそうだ」という直感を正当化させるというコラボレーション戦略は、バリューアップの手法として非常に強力です。
ただし、この戦略には無視できない大前提が存在します。それは、単なる「ロゴのレンタル」ではなく、相互の信頼関係に基づく「価値の共有」であるという点です。
堀口珈琲であれマーシャルであれ、長い時間をかけてブランドを守ってきた企業は、自らのロゴがどこに置かれるかに対して非常に繊細です。管理状態が悪かったり運営の志が低かったりする施設に、彼らが看板を貸すことはありません。つまり不動産事業者側には、相手から「提携にふさわしいパートナー」として選ばれ続け、その信頼に応える行いをする責任があるのです。
この緊張感が結果として施設運営のクオリティを底上げし、ユーザーを惹き付ける真の魅力を形成、最終的には賃料や売却益という形で不動産価値につながっていくでしょう。
本連載「マーケティング視点の不動産投資講座」
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