――編集部
[特集]葬祭ビジネスの変遷と今後|RESEARCH REPORT
葬祭会館は現在、24年の開業施設を含め全国に1万1,000か所以上普及する。本稿では、半世紀以上にわたる数的な変遷にその背景・理由などを盛り込みながら、会館の発生から拡大までの軌跡を追う。
葬祭会館(以下、会館)は、葬儀を施行する専門施設である。ここでいう会館とは、葬儀社や互助会など民間企業が事業主体となって運営する施設を指している。後述する年間開業数の推移データが示すように、会館が登場したのは70年代はじめ。いまでは大都市から地方の農村に至るまで会館での施行が当たり前になっているが、会館が普及する前は自宅や寺院で行なうのが常であった。会館以外にも寺院本堂や寺院が運営する貸し会館(寺院会館)、公共火葬場(東京では民営火葬場)の併設式場、東京23区に多い区営会館なども葬儀施設として利用されるが、全国規模でみた場合、圧倒的に利用度が高いのは会館である。
ここに、日本建築学会技術報告集(2021年)に収載された「寺院と本堂の利用の実態」という論文がある。寺院の利用などの実態を全国の伝統寺院へのアンケート調査から明らかにしたもので、そのなかに葬儀を最も行なう場所を単一回答で聞いている項目がある。その集計結果をみると、75%が「民間の会館」、12%が本堂・寺院の会館等、自宅はわずか5%であった。もちろん、地域別の違いはある。東北地方では本堂・寺院の会館等が34%と全国平均に比べて22 ポイント、東京都では火葬場(併設式場とみられる)が15%と全国平均の4%に比べて11ポイント高くなっている。24年の死亡数は年間約160万人であるから、二日葬・一日葬・直葬などおしなべて120万件(160 万× 75%)が会館で施行されていると推定される。かように、会館抜きに現代の葬儀は語れなくなっている。
今日、日本全国で普及している会館は、どのような背景・理由で発生したのだろうか。以下の3つの見地から推測したい。
1.死亡場所の変化
日本では、戦後、最期の臨終となる死亡場所が大きく変わった。厚生労働省「死亡の場所別にみた年次別死亡数・百分率」によると、調査がはじまった1951(昭和26)年当時、全体の82.5%(この年の死亡数83 万8,998 人)が「自宅」で亡くなっており、「病院・診療所」で亡くなる人は11.7%にすぎなかった(図表1)。しかし、翌年以降、自宅の減少に相反して年を追うごとに病院・診療所が増加。ついに76 年、病院・診療所48.3%、自宅46.3%と逆転する。それから約半世紀、現在の死亡場所は病院・診療所65.7%、自宅17.0%、老人ホーム11.5%などと大きく様変わりしている。病院・診療所は05 年に82.4%でピークを迎えたのち減少傾向にあり、反面、自宅は揺り戻して増加傾向、95 年から加わった老人ホームも同様にふえている。
このように、高度成長期を通して最期の死亡場所として病院・診療所でふえていった状況から何が推測できるか。病院で亡くなると一刻も早く遺体を院外に搬出する必要に迫られるが、会館が出現する前は、遺体の行き場は自宅しかなかった。とはいえ、間を置かずに自宅で遺体を受け入れるのは容易ではない。遺体を安置する部屋の確保からはじまって、家財道具の運び出し、室内の掃除、(その後の葬儀施行込みの)近所への通達などを行なう必要があるからだ。住環境や近隣との相互扶助関係など都市と地方の違いはあるものの、会館待望論は都市部の住民を中心に潜在意識としてあったと推測できる。
そうした意味で、76 年は死亡場所として病院・診療所と自宅が逆転した年であり、後述する会館の発生時期とほぼ重なるのも偶然の一致ではない。
出所:厚生労働省「人口動態調査(2023年)」 ※2023年の介護医療院・介護老人保健施設(老健)4.0%、その他1.8%は割愛。1994年までは老人ホームでの死亡は、自宅に含まれている
2.集合住宅(共同住宅)の増加
前項における都市部の会館待望論は、高度成長期に激増した集合住宅の存在も大きい。首都圏をはじめ3大都市圏などでは激しい人口流入に伴う住宅不足を解消するために、団地をはじめアパート・マンションなどの集合住宅が都市近郊に大量に供給されていった。そもそも集合住宅の多くは、戸建て住宅より居住面積が狭小である。そのため、「遺体安置ののち葬儀会場となる広い部屋を確保できない」「玄関が狭く柩が搬入できない」「中層階以上の集合住宅ではエレベータに柩が乗らない」といった不都合な事態を招く。ようするに、集合住宅は遺体安置スペースや葬儀会場としてはまったく不向きな住まいなのである。
公的データで確認してみよう。総務省「令和5年住宅・土地統計調査」は、マンション・アパートなどの共同住宅数の推移がわかるものだ(図表2)。ここでいう共同住宅とは、1棟のなかに2つ以上の住宅があり廊下・階段などを共用しているものなどを指している。それによると、共同住宅数の割合は1958(昭和33)年にはわずか5.6%(実数97万2,000 戸)だった。しかし、それ以降は一貫して上昇を続け、73年に22.5%、78年には24.7%と、70年代前半に2割を超えた。ちなみに、現在では半数近い44.9%(2,496 万8,000 戸)に達している。
このように、高度成長期に病院死が増加し遺体安置の確保に迫られたが、都市部などでは自宅を安置先とするのは容易ではなかった。加えて、集合住宅の増加もそうした状況に拍車をかけ、会館の登場・拡大を促進させたといえる。
出所:総務省「令和5年住宅・土地統計調査」から編集部が抜粋・作成 ※1958、63年、68年の数値には沖縄県を含まない
3.婚姻組数の動態
もう1つの要因に、婚姻組数の動態もあげられる。図表3として、厚生労働省「令和6年(2024)人口動態統計(確定数)の概況」における婚姻組数を掲げた。それによると、1972年の年間109万9,984組を頂点に、70〜74年までは毎年100万組を超える新しい世帯が誕生している。その理由は、周知のとおり、47〜49年頃に生まれた団塊世代が結婚適齢期を迎えたことにある。しかし、75年以降は100万組を割り込み、以降も団塊ジュニアが適齢期となって一時的に盛り返したものの、毎年雪崩を打ったように減り続けた。
こうした婚姻組数の減少に戦略転換を迫られたのが、70年代、結婚式を主要な役務サービスとして結婚式場を展開していた冠婚葬祭互助会である。その戦略転換の矛先となったのが、葬儀を専門に行なう施設としての会館であったといえる。実際、全国47都道府県の会館第1号をみると、その7割近くを互助会が占めている。66年創業の互助会サンレー(北九州)を例にとると、70年代後半には会館ブランド「紫雲閣」が本格展開され、たとえば、74年に開業した結婚式場「黒崎平安閣」も、10年後には「黒崎紫雲閣」へと転換されたのである(同社の変遷は38ページ参照)。
互助会関連について書かれた論文などを紐解くと、結婚式と葬儀の施行件数が交代したのはおおよそ90年代以降のようだ。とはいうものの、結婚式場という箱物のハード・ソフト両面のノウハウを持ち得た互助会は結婚式場を会館に転用。標準的な会館スタイルが確立されていなかった当時、結婚式場の建築ノウハウを会館に注入させていった。加えて、80年あたりから死亡数が増加フェーズに転じ、互助会は葬儀を重視する戦略へと傾斜、結婚式場の転用以上に会館新築を積極的に推し進めていったと考えられる。
出所:厚生労働省「令和6年(2024)人口動態統計(確定数)の概況」
では、会館が70年代に発生してから半世紀、今日までどのような経緯をたどってきたのだろうか。その拠り所として、編集部が創刊以来ストックしてきた会館名・所在地・開設年月などからなる会館一覧データに求めたい。
図表4は、2024年までにオープンした全国の会館1万1,499か所を開業年(不明763か所)ごとに集計し、その推移をみたものである。ただし、開業後に建て替えたもの(改装は除く)や他社が取得し会館名が変わってしまったものは建替え・取得年に変更しているので、必ずしも新規オープン年を反映しているわけではない。本格的な会館の最も早い例は1969 年の福岡、次いで70年の北海道。いずれのケースも専門葬儀社が建てている。一覧データでは、別の都道府県で64年という開設年もみられたが、会社の創業年である可能性が高く今回は採用を見送った。北海道で早くに会館の発生をみたのは、日本一の寒冷地という気候条件が大きく関係しているのは間違いないが、一方の福岡に関しては確かな発生説を見出せない。「大きいモノが好き」という県民気質が初期の重厚な大箱モデルをつくらせた、という話を耳にしたことがあるものの、いかんせん、その信憑性は低い。
その後、70年〜80年代にかけて全国では毎年10〜20か所程度のペースで会館が開業していたが、89年に突如年間の新設会館数が61 か所に跳ね上がり、全国の会館数は286か所となった。前年と比べて27.1%の増加である。この年、国内では何があったのか。言わずと知れた昭和天皇が崩御し平成に改元した年で、国全体が自粛ムードから一転して祝賀ムードに包まれ、いわゆる、慶事にあやかった祝祭消費が会館の新設機運を押し上げたのではないだろうか。以降、93年に全国で120か所(前年比25.0%増)、97年には全国で221か所が開業し、前年比34.8%増と時代を画する年となった。2000年、ミレニアム・記念消費の影響からか、開業数は前年に比べて17.8%増の304か所を記録し、総会館数は2,000か所を超えた。いわゆる、第1次新設ブームの到来である。
この会館拡大時代の論拠を日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」に求めると、99年頃に葬儀会場としての会館と自宅の割合が逆転し、それ以降はその差が開くばかり。取材等での実感からも、この頃に会館という存在が全国で一般化したと考えられる。
1877(明治10)年創業の名古屋の一柳葬具總本店(32ページ参照)は、宗旨・宗派に適った葬具にこだわり、いまでも寺院葬と自宅葬の出張葬を重視している。しかしながら、90 年代半ばに市内で会館葬への移行が顕著になってくると、その流れに抗えず会館設置に踏み切った。99年のことだ。
2008年、リーマンショックが発生。開業数は295 か所と300か所を下回ったが、09年はその反動からか387か所と一転して増加し、総会館数も5,000か所を超えた。以降、毎年300か所以上の開業が続き、コロナ禍前の18年に8,000か所を超えている。20年以降はコロナ禍の影響で落ち込んだ21年を除いて、毎年400か所以上が開業し(第2次新設ブーム)、24年には500か所に迫る489か所が開業している。24年の開業施設を含めた全国の総会館は1万1,499か所。全国の中学校数9,827校(国公私立の合計、25年5月現在)並みの普及度である。
このあと本誌では、第1次新設ブームで進んだ延床面積の低下と小規模会館への転換や、第2次新設ブームの背景となった5つの要因についても解説しています。