服部幸應合同葬メイキングレポート
CLOSE UP
月刊フューネラルビジネス6月号では、2024年10月4日に亡くなられた料理研究家・服部幸應合氏の合同葬の様子を、「FUNERAL REPORT」で掲載している。主催者の熱意を支えたのは、従業員5人の小さな葬儀社がもつプロとしての見識と柔軟な対応だった。CLOSE UPでは、主催者と葬儀社の出会いから企画・施行まで、合同葬のメイキングを紹介。主催者である学校法人服部学園理事長・服部栄養専門学校校長を務める服部吉彦氏、施行を担当した株式会社東京祭典・代表取締役の洒井康孝氏にその舞台裏を伺った。
故人が好んだ赤花(深紅のバラ)と白花でまとめ、高級感ある空間づくりを意識した生花祭壇
「夜の11時30分過ぎ、翌5日の朝10時には父を警察署から搬送する必要がありました」と振り返るのは、服部幸應氏の長男で学校法人服部学園理事長・服部栄義専門学校校長の服部吉彦氏(以下、吉彦氏)だ。2024年10月4日、学校で突然倒れて亡くなった服部幸應氏の遺体は、管轄内の警察署に安置されていた。急なこと、はじめてのことで葬祭事業者の伝手はない。警察署の担当者に紹介を頼んだが、「近隣でよい葬儀社を紹介できるかわからないので、インターネットで探したほうがよいかと思います」と言われた。「何とか手配をしなければと、いますぐ対応ができ、クチコミがよい葬儀社を妻がネットで検索したところ、上位に出てきたのが東京祭典さんだったのです」と吉彦氏。
吉彦氏の妻・記世子氏からの電話を受けたのは、東京祭典・代表取締役の酒井康孝氏だった。遺体搬送と家族葬の依頼だ。酒井社長は「電話では本名の染谷幸彦様で承りましたので、あの服部幸應先生だとは思いもよりませんでした。翌日、故人様とご対面したとき本当に服部先生でしたので、心底驚いたのを覚えています」と受注時を振り返る。実は酒井社長、前職が今年創業100年を迎える老舗レストラン銀座三笠会館の料理人であり、飲食業界において故人は「料理人や業界の地位を向上させた方で神様みたいな人」(酒井社長)なのだ。
吉彦氏は、電話口での酒井社長の対応は特に丁寧で安心させる語り口調でのアドバイスの数々が忘れられないという。「私たちは気持ちが落ち込み、焦って混乱もしている。そのような状況下で、きちんと順序立てて『これを用意したほうがいいです』『こういうふうにしましょう』とサポートしていただきました。たとえば火葬場も、学校に最も近い火葬場ではなく親族の希望である格式高い火葬炉のある火葬場を紹介してくれるなど、細かくこちらの意図を汲み取ったうえでの提案などに安心し、妻とも話して『この方に合同葬もお願いしよう』と即決しました」と吉彦氏は語る。この遺体搬送を手はじめに、東京祭典は家族葬、そして12月13日の合同葬に至るまで遺族に寄り添い続けることとなった。
「家族葬をとり行なう前から、後日、合同葬をする必要があるとは考えていました」と吉彦氏は言う。故人は、フランスなどの欧米諸国から日本の料理人が格下に見られていた40年以上前、自身の学校に厨房や什器などの調理環境を整え、フランス人の三ツ星シェフを調理技法の講師として招聘するなど、国内におけるフランス料理の普及に多大な貞献をしたとともに、日本の食文化、ひいては教育の根底としての「食育」を推進し、05年の食育基本法を制定させた功労者でもある。
「その歩みのなかでお世話になったさまざまな方々にお礼や生前の父(故人)の想いを伝える場、そしてそうした方々に父をお見送りいただく場を、父の経歴に恥じないようにしっかりと設ける必要がありました。また、父が父らしく『ありがとう』と喜んでくれるような、温かな学園葬にしたいと実行委員会を設立して開催するに至りました」と吉彦氏。この「服部幸應ときちんとお別れできる場」「心を込めて温かく」が合同葬のコンセプトとなった。
具体的なコンセプトワークは、吉彦氏をはじめとする遺族側が「故人の好きだった色や花、音楽」など根底となるテーマを決め、東京祭典と打合せを進めた。対応は一貫して酒井社長が務めた。遺体搬送や打合せから施行、アフターフォローまで同一担当者が遺族に寄り添い続けるのが同社のポリシーである。祭壇については、同社が写真やCGなどで提案した施行例のなかから選定した。祭壇は赤と白を基調とし、会場のメイン動線には赤絨毯を敷いた。門標やメモリアルコーナーには、「お洒落が好き」(吉彦氏)で上品かつ紳士だった故人のイメージと、愛用のマオカラー(立襟)の色でもある黒を配することで、赤と黒のコントラストを重視。さらに、赤と黒で会場全体が重苦しくならないよう食育ピクトグラムをはじめ、故人の著書や受章した勲章・勲記の一部、学校での日常風景やプライベートシーンなどを収めた写真パネルをアクセントに会場デザインを決めていった。
赤は、故人の好きだった色。食に携わる人は配色にも気を配らねばならず、その最たる色が食欲をいちばん刺激する赤である、というのが故人の考え方だった。特に好きだった花はバラ。遺族側は赤いバラを使いたいと考えたが、色と棘の問題で葬儀では避けられることが多い花だ。「それでも酒井さんに相談すると、『故人様の想いや雰囲気だから、むしろ前面に押し出していいと思います』と言ってくださった」と吉彦氏。どれくらいの方が参列されるか、供花はどうするか、式典の進め方はどうしたらいいかなど細かな相談を進めていくなかで、酒井社長からは「しきたりよりも、ご本人の好きだったもの、送る側の想い、そういったもののほうが大切」と何度も話してくれたという。
祭壇をはじめ会場内に飾られた1万本を超える赤いバラは、取引のある生花店の協力を得て、約2か月かけて国内外から手配した。「バラは最上級の大きなサイズを取り揃えました。費用はかかりますが、供花が1,000~1,200基は出ると予測しましたので、この頂戴した供花で会場を装飾すれば、ご遺族・学校側の黄用の負担は軽減できると判断しました」と酒井社長。約1万本といえば、合同葬の前後数日間に国内市場で出回る最上級のバラがほぼ集められた計算になるという。「生花店さんが国内外から最上級のバラを集めてくださったのもそうですが、さまざまな専門分野の方々が力を結集してくださった。その中心にいたのが酒井さん。すべてが上手くいったのは、やはり酒井さんのお人柄ですね、と吉彦氏は語る。
東京祭典は従業員5人の小さな町の葬儀屋だ。続き(運営体制や当日の様子について)は本誌で詳解しているが、供花の受注業務ではオンラインサービスを活用して効率化、当日のオペレーションには専門学校生にも加わってもらうなどの工夫を凝らすことで、小規模葬儀社ながら約4,000人が参列した合同葬を成功に導いた。
近年、社葬などの大規模葬は、以前に比べて開催件数は多くない。しかし、故人をしっかり見送りたいと思う人が多いとき、その開催機会を後押しするのは葬祭業としての務めだろう。小規模葬儀社でもプロとしての見識をもって運営を効率化すれば、大規模葬を受注できること。また、葬儀を知らない一般の人でも、サポート次第で運営の力になるという例を示した今回の合同葬は、葬祭業界にとって大きな示唆を含んでいるといえるだろう。