㈱武蔵浦和会館 代表取締役 小杉英介氏
FRONT RUNNER
1993年創業の㈱武蔵浦和会館(さいたま市南区)は、2015年に深刻な経営危機に陥った。「廃業か再生か」、このとき、会社の命運を託されたのが小杉英介氏である。「地域の高齢者を幸せにする」を信条に、会社廃業の危機を乗り越えて再生させた立役者に起死回生のヒントを尋ねた。
小杉英介
㈱武蔵浦和会館 代表取締役。1976年、埼玉県川口市生まれ。26歳のとき、父親の葬儀が縁で武蔵浦和会館にアルバイト入社、その後社員へ。2015年、社長に就任し、業績悪化に苦しんでいた会社の立て直しに成功する。19年以降、地域高齢者の支援サービスを開始するとともに、一般社団法人を設立。地域包括支援センターなどとも連携し、高齢者のトータルサポート企業を目指している。来たる4月、一般社団法人埼玉中小企業家同友会浦和支部の支部長に就任する。
――今年1月に、飲食店をオープンされたそうですね。おめでとうございます。このお店は貴社にとって、どのような位置づけになりますか。
小杉 ありがとうございます。会社のあるJR武蔵浦和駅の隣、南浦和駅から歩いて約5分の場所に、気軽にフランス料理とお酒が楽しめる「ビストロフラ屋(BISTRO FRAYA)」を開業しました。シェフは私の実弟で、夜(18~23時)はビストロとして営業し、昼間は地域の人々や「はるかメンバーズ」が気兼ねなく集えるコミュニティカフェ「つどい場 はるか」になっています。
――はるかメンバーズとは。
小杉 当社の生前会員制度のことです。入会金(5,000円)は必要ですが、年会費は不要。当社が主催するさまざまなイベントに参加できるほか、「葬送空間 はるか」の式場使用料が無料になるなどの特典があり、現在1,800人ものお客様に加入していただいています。
当社は2009年頃、「せっかくのお客様とのご縁、葬儀だけのつながりにはしたくない」といった社員の声を受けて、悲しみを分かち合える場「つどい場はるか」をはじめました。そこから、脳トレにもなる「健康麻雀」などのさまざまなイベントが誕生。基本的に、イベントは会館の休業日である友引の日に実施していたのですが、ここ数年、さいたま市の浦和斎場と大宮聖苑(ともに炉数10基の公共火葬場)が繁忙期に友引火葬を試験的に開始した関係で、空いた友引日をイベントのために使うことがむずかしくなりました。そこで、会館とは別に、いつでも訪れることができ、気軽に集える場としてコミュニティカフェをオープンしたのです。会員だけでなく、地域の人々にも開放しています。
――ここまでのお話からは想像できませんが、過去に会社存続の危機があったと伺いました。
小杉 はい。いまから11年前のことです。当社は1993年に創業し、以後、約30年間にわたって地域密着型の葬儀社として信頼を集めてきました。お客様からの評価も高かったのですが、2014年に先代の不正が発覚し、顧問契約していた税理士からは「この会社、潰れるよ」と告げられたほどでした。負債額は、1億5,000万円といったところでしょうか。
当時、私は社内で最も在籍期間が長く、一応マネージャ―という立場でした。その後、全社員が集まり緊急の会議となったのですが、先代についていこうという人は誰もいません。それで私が当面会社をまとめることとなり、翌年代表となったのです。
――それほどの負債があるのなら、会社を畳むという選択もあったと思います。存続を選んだのはどのような理由からですか。
小杉 先ほどお話しした、はるかメンバーズの存在が大きいのです。会員のなかには、大切な家族を亡くし、「つどいに参加することが生きがい」と言ってくださる方も多く、廃業すればつどい場もおのずと解散しますし、多くの会員の心の拠り所である場を、こちら側の都合でなくしてしまうことは考えられませんでした。また、確かに負債額は大きいのですが、自分たちの施行には絶対的な自信がありましたし、長年にわたって絆を深めてきた会員との関わりを引き続き大切にしていけば、必ず立て直せると。
私はいまでこそ社長として会社の経営に携わっていますが、大学を卒業してから当社にアルバイトとして入社するまで、定職につかずブラブラしていた時期も長かったのです。もともと何ももっていなかった人間なのですから失うものも何もなく、会社の借金を背負うくらいどうってことがない、という割り切った気持ちもありました。
――社長就任後、具体的にはどのような立て直し策を講じたのでしょうか。
小杉 まず取り掛かったのは、経費削減と利益率のアップです。当時は、複数の会社の委託施行を請けていましたが、自社受注以外、つまり下請けの仕事に疑問があったことから、一部を除いて提携を解除し、下請けをやめました。その結果、1件当たりの施行単価が約15万円もアップ。施行件数は減っても、売上げはたいして変わらないことがわかったのです。メモリアルコーナーやお花の祭壇といった当社ならではの提案をさせていただくことで、お客様の満足度も上がりました。
次に、経費削減のために新聞の折込み広告を3年ほどストップ。それでも、会報誌「はるか」は年に4回、休まずに発行しつづけました。折込み広告などで、会社の知名度を上げたり新たなお客様を獲得するよりも、いまの会員を大切にしようという考えからです。お金をかけなくても会員の皆様に喜んでもらえることをと、「イベントの開催回数で葬儀社ナンバーワンを目指す」を掲げてやめずに継続し、コロナ禍の前までは年80回開催していました。「あの会社はいつも人が集まっていて賑やかだな」といった声も多く寄せられていましたから、経営状態は火の車でも、会員や地域の方はそんな悲壮感を感じることはなかったのではないでしょうか。
小杉社長はこのほかにも、武蔵浦和会館における週休3日制度のスタートや、便利屋サービスと終活や死後事務委任契約をサポートする「一般社団法人はるかイキイキくらぶ」を立ち上げるなど、新たな取組みを行なっている。全編は『月刊フューネラルビジネス2025年4月号』でお読みいただけます。
また、小杉社長は、6月4日(水)・5日(木)に開催される「フューネラルビジネスフェア2025」のシンポジウムにも登壇予定。「埼玉・浦和の小さな葬儀社 会員・地域ファーストで『会社再生』」と題して語っていただきます。